2013年4月16日火曜日
第5回空き地歌会 ユキノ進さん全首評
ユキノ進さんの全首評です。
●ユキノ進さんは、新潟で空き瓶歌会を開催されています。
【第3回空き瓶歌会のお知らせ】今度の空き瓶歌会は6月15日(土)になんと山形市で行います!参加希望の方は5月25日(土)までに空き瓶歌会のツイッターアカウント( @akibinkakai )へのDMまたはakibinkakai@yahoo.co.jpまでご連絡ください。歌歴にかかわらず誰でも参加できます。ぜひぜひ!
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A そよ風の裏切りにより花びらは着地するほかなかったんだよ
素直に読めば、「小さな無力な者への優しい視線」を詠んだものですが、そんな単純な歌なのかなという疑問があります。「そよ風の裏切り」という甘ったるい言葉をアイロニカルに使おうという野心的な意図が作者にはあったのではないでしょうか。素直に読めば平凡な着想の普通の歌です。アイロニカルに読ませるためには、ちょっと毒の部分がわかりにくい。
B お隣のケンカを夜ごと聞かされる私の罪は何? 沈丁花
おそらく現実に起きている自身の身の回りのできごとを歌にしたのだと思いますが、むき出しの悩みをそのまま提示しても読者は作者との温度差にとまどうばかりです。でも結句の「何?沈丁花」はいいですね。「ジンチョウゲ」のさえない語感。なんともしょぼくれた感じ。ああ、ジンチョウゲ。
C 折れさうな身体のお兄さんの手に仕事の都合といふ花言葉
今回の中でもっとも歌意がつかめなかった歌ですが、想像力を開く魅力的なフレーズがふたつあります。「折れさうな身体」と「仕事の都合といふ花言葉」。後者が特に思わせぶりで、読者に意味はわからないけれど作者は過剰な意味を込めているように感じます。刺激的なワードである一方で、作者だけがわかってるぞ、という雰囲気に鼻白む感もしました。
D スギ花粉噴射スプレー目と鼻に ヒロ先輩に卒業祝い
花粉によって嘘の涙と鼻水を出して、卒業する先輩との別れを演出するという内容でしょうか。「スギ花粉噴射スプレー」のユニークなキーワードのおもしろさをどう評価するかがポイントですね。ちょっと狙いが見えすぎている感じが僕はしました。
E 桜舞う恋を奏でる曲の音と香り残して君に届けと
「桜舞う」「恋を奏でる」「君に届け」といういわゆるクリシェが連続します。クリシェだからダメだっていうのは批評としてはダメだと思うのですが、クリシェを前にすると語る言葉をなくすのも事実です。読者としては、クリシェがあると歌の表面をなぞっただけでそれ以上掘り下げ甲斐がないように見えてしまうのです。批評になじまない、ということですかね。好き嫌いで言えば、この歌を好きな人はたくさんいると思います。
F 営業が出払った午後事務員のまどろみのなか睡蓮ひらく
う〜ん、地味な歌だ。(空き地注:ご自分のお歌ですね。笑)
G 鮮やかな色響かせて咲き誇る好きという花降りそそぐ君
「色響かせる」「好きという花」というふたつの言い回しが、この歌のへそですね。「色響かせる」は美しい。「好きという花」はなんというか重いかなあ。べたつく感じがします。感覚的な物言いで申し訳ないですが。
H (わたしの部屋のあなたの花が咲きました)わたしのあなたが告げた春
これは歌意がわかりません。解読しても、きっとたいしたことではないと思うので、わからないほうがいいのでしょう。短歌は歌であり詩なので、散文的な意味とは別な魅力があるものだと僕は考えています。この歌は「a」の音が繰り返す開放感と、リズムの楽しさが魅力です。
I 咲くことのない花ですとわたされた石をあなたは窓辺にかざる
精神を病んだ人とその恋人の報われないやりとり、と僕は読みましたが、他の読み方もたくさんあるでしょう。不条理劇の1シーンのようですが、観客を拒絶するものではなく、多くの想像のヒントを置いたドラマになっています。歌が想像力を開く装置になっているところがすばらしいと思いました。
J 花に降る雨の静けさきらきらといのちほどけてゆくさくらばな
「きらきらと」がストレートすぎて幼稚に見える危うさがありますが、いのちのはかない感じをうまく示しているのではないでしょうか。「いのちほどけてゆく」という表現も美しいですね。その一方で「いのち」を引き出すためのモチーフとしての「桜」は素直すぎると思います。この歌は初句ですでに「花」が出ているので、結句で再度「さくらばな」としなくてもいいんじゃないでしょうか。
K 守っても守りきれないものがある カーネーションがシーツに咲いた
これは歌会の会場ではいろいろな解釈があったようですが、僕は処女喪失だと読みました。ちょっとそれ以外に読みようがない。シーツについた血をカーネーションとした比喩がこの歌のポイントでしょう。うまい喩なのですが、あまりにぴったりすぎて比喩としての納得感はあるけど意外性がないと思いました。
L ひらひらとさくら花びら花筏めだかの子らはお遊戯やめた
リズムもいいし楽しい歌です。花筏って言葉もいいですね。上句と下句の意味が分断されていますが、そこで歌のリズムもちょっと途切れてしまうようで残念です。
それとも「花びらが落ちてきて、気をとられてめだかたちはお遊戯を中断した」という意味の続いているのかな。
M 吹く風に枝垂れ桜はゆれておりリズムは淡い1/f
「1/f」が思わせぶりなのですが、歌意はシンプルでわかりやすいです。わかり易すぎるのがこの歌の欠点かもしれません。1/fのリズムの風というのが気持ちのいい魅力的な光景として立ち上がってこないのです。エアコンか何かの広告で聞き慣れた言葉だからですかね。白いリビングの薄っぺらい風景が見えてきます。
N さいたなら枯れてゆくだけ心咲さんさかなくていいこころなんかを
これはグーグルで調べて、心咲(みさき)というのが現代の割とポピュラーな名前だと知りました。心咲が人の名前だとわかれば、これはシンプルなわかりやすい歌です。歌意がわからないうちはおもしろい歌だと思ったのですが、わかってしまうとそれ以上の深みやおもしろみがありません。まあ、読者とは勝手なものです。
人の名前の中で心が咲いたって枯れたってほんとうはどうだっていいことなので、歌意がわかった後の共感がしにくいんですね、きっと。
O ほろよいのお花畑で落ち合ってこのまま二人どこか消えたい
「お花畑」が飲み屋のお手洗いを指すのだということを、ユーストでの誰かの発言で知りました。そう聞いて読むとなかなか毒もあっておもしろい歌です。静かなあかるい花畑と、騒々しい居酒屋の一角、というイメージの振幅。
P 口々に春うたうべく咲く花のひとつを選りて耳もとに挿す
これは「選りて」という言葉の選択ひとつが成功のポイントだと思います。「ひとつを選び」でもよかったところを「選りて」とすることによって、情景が寓話的なものとして広がります。こういうのが歌の力であり、言葉の力なんですよね。
Q 花びらを涙でつけて待っている 遠くからでも気がつくように
「花びらを涙でつけて待っている」というちょっといじましい人物のあり方。共感できるか引くかの二者択一になる歌ですね。僕はちょっとダメなんですが、好きな人はこの歌すごく好きなんじゃないでしょうか。
R 桜たちおかえりなさい旅ならばかなたの春よいってらっしゃい
「おかえりなさい/いってらっしゃい」というループ構造と、「a」の音が続くことによる風通しのよさ。歌がとても大きな世界を組み立てています。これも「旅ならば・・」以降の部分は意味はわからないのですが、わからなくていいのだと思います。
S 薄桃の君がまっすぐ行けるよう道しきつめる花びらになる
「薄桃の君」がわかりません。これはたぶん多様な解釈のできる言葉ではなく、何か特定のものを示しているのだと思うのですが。作者の説明不足というより読者の僕の無知かなあ。美しい語感ですけどね。あと四句の「道しきつめる」が助詞を省いていて窮屈なのが気になります。開放感のある光景を描こうとしているのだと思うので、ここは整理してほしいところです。
T この岸がどちらがわでもかまわない空ににじんでゆくさくらばな
これは彼岸/此岸をイメージさせる歌です。その生死の境界線で「どちらがわでもかまわない」という言い切りがかっこいい。その一方でJと同様に、命を引き出すモチーフとして桜を使うのはちょっとありきたりかもしれません。またJもこのTも結句が「さくらばな」の体言止で終わっています。なんか演歌っぽいんですよね。「さく〜ら〜ばあああ〜なあああ〜」ってこぶし利かせながら歌のエンディングとなる光景が目に浮かびます。
なんか勝手なこといろいろ書きましてすみません。
書いていると自分の歌の読み方が一面的だなあと気づかされます。
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