山崎修平さんの全首評です。
A そよ風の裏切りにより花びらは着地するほかなかったんだよ
そよ風の裏切りによって着地ということは、花が落ちたということでしょうか。より「落ちてしまったのだ」という気持ちを出したい歌ですよね。着地という言葉がどうも引っかかってしまって、宇宙から帰って来た人の「着地」とか、飛行機が「着地」ならナルホドと思うのですが、花びらの「着地」というと強風で(かなり強い強制力で)花が振り落とされたような印象を持ちました。そよ風だけに。優しい歌だと思います。
B お隣のケンカを夜ごと聞かされる私の罪は何? 沈丁花
沈丁花に語りかけているのでしょうか?お隣のケンカを夜な夜な聞かされるのは確かに苦痛です、近所付き合いもありますから、苦情もおおっぴらには言えない、それを沈丁花に語りかけているのでしょうか。すんなりと「ああ、そうだよな」と言葉を飲み込んでしまったあとに、最後の「沈丁花」というフレーズが、この場合本当に部屋に沈丁花があるのだろう、とは思えるのですが、その背後に隠された奥行き、広がり等が、すんなりと意味が取れるだけに分かりづらかったです。率直な歌だと思います。
C 折れさうな身体のお兄さんの手に仕事の都合といふ花言葉
折れそうな身体のお兄さんはいますね、街中に。今はもう乗りませんが、満員電車に乗ると、確かにお疲れの方が特に若いお兄さんがいます。その状況を的確に描写した歌だと思います。確かに、こういうお兄さんに言葉を付与したい。何かで言い表したいとは思います。つまり憐憫や同情ではなく、言葉にすることにより、近接性が得られる、一般化されるのでしょう。それを「花言葉」と言い表した。花言葉は全然知らないのですが、花それぞれにあるのですよねきっと、疲れきったお兄さんを言い表す花言葉は今日から「仕事の都合」と呼びたくなります。アイロニーも感じます。
D スギ花粉噴射スプレー目と鼻に ヒロ先輩に卒業祝い
ヒロ先輩一体なにしたんですかね?スギ花粉噴射スプレーなるものを目と花に噴射されているのですからね、相当な事をしでかしたんですよね。周りから好かれていると取りました。一応「先輩」と敬称付いていますからね。ただヒロ先輩からしてみれば、結構辛いですよね。胡椒ならすぐにクシャミでますからね、面白い画になると思うのですが、スギ花粉噴射スプレーは即時性なさそうですよね、2、3、年経ってじわじわと花粉症になりそうですよね。うーん。ただ、ヒロ先輩悪い奴じゃなさそうだな。
E 桜舞う恋を奏でる曲の音と香り残して君に届けと
恋を奏でる音と香りを残して届くのは「君」への想いなのでしょう。音や香りと共に(力を借りて)ではなく、音や香りは残して、純度の高い想いの部分だけが相手に届くように、と。「君」への想いの深さ、純粋さや、潔さも感じられる歌だと思います。
F 営業が出払った午後事務員のまどろみのなか睡蓮ひらく
まどろみと睡蓮がかかっているのですよね。営業さんが出払ったあとに微睡んでいるんですよね、うーむ。これは「営業さんが出払った午後→まどろみ→睡蓮が開いた」という事でしょうか。だとするとまどろんでいる人は睡蓮が開いた事を確認出来ないですから他の第三者が確認しているんですかね、「あ、睡蓮ひらいた。あいつ寝てるわ!」って。そう考えるととても面白いと思いました。
G 鮮やかな色響かせて咲き誇る好きという花降りそそぐ君
鮮やかな色とは何でしょう?とまず考えて、鮮やかな色という明確な基準が自分には無いので、例えば何かの色が「鮮やかだ」とは思いますが「鮮やかな色」という概念がないので、その色を響かせる、ときて、ん?響かせるということは共鳴して鳴り響いているのですよね、鮮やかな色が響いている、何だか抽象画のような世界ですね。そして「好きという花」が「降りそそぐ君」で、頭がグラングランしてきて、歌意が取れなくなってきました。「君に降りそそぐ」ではなく「降りそそぐ君」ということは「君」が降りそそいでいるとも取れますよね。好きという花は誰が何を好きと言っているのでしょうか。花が好きといったとも取れますよね。不思議な魅力がある歌です。
I 咲くことのない花ですとわたされた石をあなたは窓辺にかざる
たまに海外からの土産物でおかしなもん渡されて、現地のシャーマン(呪術師)の祈りが込められたモノとかで、捨てると呪われそうだし、不燃物か資源か分からないし、玄関先に飾っておくのだけども、友人が来た時に必ず「これは、何?」「槍だけど」ってなる。日本に住んでいる時に、相手に渡すものはいつの間にか常識ってもんに、限られてしまって、デパートで売っているものとか、花とか、指輪とか、決まりきったものになっている。だけども、この歌の場合、「咲くことのない花」として「石」を「わたされている」例えばドングリでも道に落ちている石でも、子供の頃の宝物には誰しも大人になって赤面するものだけど、この「わたした」人は「石」を「花」として(つまり、贈り物として広く一般に市民権を得て認知してされているものとして)半分冗談に、半分本気で言っているのだろう。そしてこの「花」の受け取りて手はそれを贈り物=花として認め、かざっている。素敵な歌です。大好きですこの歌。って詠み手に三回言っておいてください。
J 花に降る雨の静けさきらきらといのちほどけてゆくさくらばな
きらきらがちょっとうーん。何でしょう。嫌な言葉ではないのですが、「静けさ」と「きらきら」が武田信玄とくまモンくらいのどちらも好きなんですが、両者がいると「え?」ってなってしまうのです。下の句の いのちほどけてゆくさくらばなも好きですし、そのさくらばなという日常使わない言葉が詩情を出しているだけにどうしても、きらきらじゃなければダメなんだという理由が見つかりませんでした。下の句は好きですよ。
K 守っても守りきれないものがある カーネーションがシーツに咲いた
良くわかりませんでした。守っても守りきれないものがある。ということは相当な力が及んでいるのだと思いますが、下の句のカーネーションがシーツに咲いた。は自然描写、あくまでも自然現象として咲かされたではなく、咲いたですよね。その整合性が気になりました。
L ひらひらとさくら花びら花筏めだかの子らはお遊戯やめた
リズムですよね。リズムが素敵ですよね。このリズムのおかげって大きいなと思うのは、一つひとつ単語を見て行くと「さくら」「花びら」「花筏」「めだかの子」「お遊戯」と「花」という括りはあるのだけど、単語単独の強さで勝負ではなくて、繋がって全体で意味を成すと言うか、アホな例えで申し訳ないけれど、戦隊ヒーローものって5人組で、まあ赤がリーダーでピンクは女の子って決まっているけど、怪獣はたいてい一匹で地球に降り立つのですよね。5対1じゃ不公平じゃないか、ってならない。それは5人がそれぞれの長所を出し合って、危機を突破するからなんですよね。この歌を口に出すと、単語でぶつ切りにされた言葉をからエキスなようなものが染み出てきておでんのように全体で一つのリズムを生み出していて、良い歌だなあって思うのですよ。ええ。
M 吹く風に枝垂れ桜はゆれておりリズムは淡い1/f
1/fを知らなくて、グーグルで調べるのもどうかなと思ったのですが、この歌の肝が1/fだとしたらこの1/fに至る前の言葉と、すこし乖離しているのではないかなと思いました。枝垂れ桜はゆれており というフレーズは発音すると気持ちいいですね。好きです。
N さいたなら枯れてゆくだけ心咲さんさかなくていいこころなんかを
心咲さんって「こころさかさん」ですかね。すると前半の心咲さんと最後のひらがなでの、こころなんかをは意味合いが異なると言う事ですよね。うーむ。最初のひらがなの、さいたならと心咲さんも異なる。うーむ。思うに、(あなたへの)感情は満たされたなら(さいたなら)あとは枯れてゆくだけなのだから、こころという言葉の範疇に留める必要は無いのだよあなたへの感情は、ととりました。詩情がありますよね。独特です。この「sa」という音節も好きですね効いてますよね。「sa」って発音はすぐに消えてしまいますよね。「ma」なんかと違って。言葉って凄いなと思います。この歌も。
O ほろよいのお花畑で落ち合ってこのまま二人どこか消えたい
ほろよいのお花畑ってのは人間が酔っぱらっているのか、お花畑が酔っているのかってなりますよね。どっちなんでしょう。深大寺植物園のバラ園とか見ているとお花畑が酔っているな、って思います。ほろ酔いということは、歩くことも立つことも出来ないって訳じゃない、ちょっと気持ちよくなって、歌とか唄ってしまう、それくらいの酔いなのでしょう。「このまま二人どこか消えたい」のだから、やはりお花畑が酔っていて、その酔いの力、勢いを借りてという果たせぬ感情を、という感じなのでしょうか。「落ち合って」って良いですね。今、落ち合ってって言いますかね。新宿区に「落合」ってありますけど、神田川が落ち合って落合なんですね。そう言えば「待ち合わせ」も使わなくなったな、携帯電話でピっですもんね。うーん。「落ち合って」。大事な人なのでしょう。落ち合う相手は。
P 口々に春うたうべく咲く花のひとつを選りて耳もとに挿す
春らしい歌ですよね。挿すと漢字で書くとどうしても「ぶすっ!」というイメージがわいてきます。リズムも言葉の運びも好きなのですが。
Q 花びらを涙でつけて待っている 遠くからでも気がつくように
演歌のような歌ですよね。実際にいそうでいないですよね、花びらを涙でつけて待っている人。コミカルなのですが、至って真剣に花びらを付けている。遠くから気づいた人がどういう反応をするのでしょう。僕なら笑ってしまうかなあ、うーん。何で泣いているのでしょう?
R 桜たちおかえりなさい旅ならばかなたの春よいってらっしゃい
うーん。来年の春に桜の花が咲くまでのしばしの旅へいってらっしゃいということでしょうか。非常に淡くて描写が素敵な歌です。
S 薄桃の君がまっすぐ行けるよう道しきつめる花びらになる
桃って上手く皮剥けないんですよね。自分で桃の皮剥くと分かりますが、原型留めないし、果汁で手が汚れるし、あの産毛や色つや、あれは人間みたいですよね。そう考えると「薄桃の君」という描写分かりますね。傷つき易い、というよりは、「花びらになる」モノ(人)は傷つけたくないのでしょう、薄桃は。花びらで守るのでしょう、「まっすぐ行けるよう」に。聖母マリアのようです。
T この岸がどちらがわでもかまわない空ににじんでゆくさくらばな
この世とあの世でしょうか。下の句のひらがなが透明感があって、異世界へ誘うような響きがありますよね。浮遊感がある。好きな歌です。
★作者名はこちらからご覧いただけます。
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