2013年4月16日火曜日

第5回空き地歌会 野比益多全首評

 野比益多の全首評です。


A そよ風の裏切りにより花びらは着地するほかなかったんだよ
花びらが何の花なのかはどこにも書かれていませんが、なぜか桜のような気がします。「裏切り」とあるのがおもしろいですね。「そよ風」と「花びら」はこれまで良い関係であったのに「そよ風」が裏切ったという見方に独特の視点があると思います。事実で考えると花は寿命がつきて散っていくはずですが、強風ではなく「そよ風」程度で散ってしまう花のはかなさを認めたくないというような気持ちが表れているような気がします。散るという表現ではなく、「着地」という表現になっていることからも、美しいものが弱って命を失っていくことを認めたくないような目線が感じられます。最後は「だね」とか「です」で終えることもできたと思うのですが、「だよ」となっていることでその事実を不条理なことだと思って誰かに訴えかけたいというような意志が感じられてよいですね。事実を認めたくない幼さも表現されていると思います。こういう独自の目線があらわれている歌は好きだなあと思います。

B お隣のケンカを夜ごと聞かされる私の罪は何? 沈丁花
お隣のケンカを夜ごと聞かされるのはたしかにイヤですよね。自分がなにか罪を犯したことの罰としてそんな目に合っているのか?と作中主体は思っているようですが。そう言うときはだいたい自分に罪があるとは思ってなくて私は何もしてないのにイヤな目に合っていると言いたいかんじが多いかなあと。そんな愚痴のような独り言を「沈丁花」に向かって言っているということでしょうか。「沈丁花」は香りの強い花で、もしかしたらお隣の沈丁花なのかもしれませんね。ケンカの声も花の香もお隣から来る。存在感にあふれるお隣さんですね。ただこのカタチだとやっぱりちょっとただの愚痴のように感じてしまうので、読者としての私にはあまりピンときませんでした。

C 折れさうな身体のお兄さんの手に仕事の都合といふ花言葉
うーん。すみません、意味があまり読み取れませんでした。折れさうな身体のお兄さんがお花を持っているということでしょうか?すごくムリやり意味をとろうとして読んでしまうと、花屋のお兄さんが、大切な人との時間を持とうとせずに花屋で仕事をしていて、その手にまたまたま持っている花を「仕事の都合といふ花言葉」と作者は見ているというかんじでしょうか。でもこの読み方はムリやりすぎかなあ。。「折れさうな身体のお兄さん」がどんな存在なのかがもうちょっとわかるとよいかなあと。また、「仕事の都合といふ花言葉」、もしかしてそういう花言葉があるのかな?と調べてみましたが、ざっと探したところではでてきませんでした。(歌会でお兄さんの手を花に見立てているんじゃないかという意見を聞いて、なるほど!と思いました。)

D スギ花粉噴射スプレー目と鼻に ヒロ先輩に卒業祝い
ヒロ先輩は花粉症なんでしょうか。よっぽどイヤな先輩だったんでしょうね。卒業の時期と花粉の飛ぶ時期が重なっているから出た発想なのでしょう。わたしも花粉症なのでこれやられたら死にそうです。。なるべく人に嫌われないように生きていこうと思いました。

E 桜舞う恋を奏でる曲の音と香り残して君に届けと
すみません。春の恋の歌だということはなんとなくわかるのですが、意味があまり読み取れませんでした。桜が舞っているんですよね。「恋を奏でる曲の音」と「香り」をどこに残してなにを君に届けたいのでしょうか?

F 営業が出払った午後事務員のまどろみのなか睡蓮ひらく
平日の午後、静かな職場の様子がよく伝わります。営業と事務員の関係もリアルでよいですね。好きだなあと思うのですが、まどろみと睡蓮が近すぎるような気もしないでもないです。もしかしたら「まどろみ」と言わずに伝わるかもしれませんね。むずかしいかな。。「まどろみ」と言わないと成仏しちゃったみたいになっちゃいますかね。。

G 鮮やかな色響かせて咲き誇る好きという花降りそそぐ君
どういう情景だろう?と不思議に思いました。君に好きという花が降り注いでいるんですよね。「降りそそぐ君」というところで作中の主体が君を見ている目線が客観的な気がするので、主体が君に好きという花を降り注いでいるようなかんじがあまりしませんでした。というわけで結婚式などで花を撒くようなところをイメージしました。

H (わたしの部屋のあなたの花が咲きました)わたしのあなたが告げた春
「わたしのあなた」という表現がなにか怖さを感じさせます。あなたはもしかしたら実在しないのかもしれない。「わたし」はストーカーなのかもしれない。。定型からずいぶんズレているのも不安感をかんじさせるためなのでしょうか。ただ( )の使い方含め、成功しているかどうかは疑問でした。

J 花に降る雨の静けさきらきらといのちほどけてゆくさくらばな
桜が雨で散り始めていく様子でしょうか。とてもきれいな情景が目に浮かびます。桜の花は花びらが一枚ずつ散っていきますよね。それをいのちほどけてゆくと表現したところがよいなあと思いました。よいと思うのですがふつうと言ってしまえばふつうかなあと。(なにかオリジナルな視点とかひっかかりのようなものがあったらいいなと思ってしまうのはただたんに私の個人的な好みのような気がします)すみません!

K 守っても守りきれないものがある カーネーションがシーツに咲いた
カーネーションが血だとすると、性的なことでしょうか。他の読み方できるかなあ。考えてみたけれど浮かびませんでした。性的なことだとすると、守りきれなかったことをカーネーションとして美しく表現していることに違和感をかんじました。

L ひらひらとさくら花びら花筏めだかの子らはお遊戯やめた
めだかの学校の歌ですね。「ら」が続いて、音がきれいだなあと思いました。内容は特に伝えたいことがあるというかんじではない気がしますが、歌に絡めてうまくまとめているなと思いました。

M 吹く風に枝垂れ桜はゆれておりリズムは淡い1/f
1/fってなんだかよくわからないですけど、自然界にある気持ちのよいゆらぎみたいなものでしたよね、たしか。「吹く」と「風」、「ゆれる」と「リズム」と「1/f」など近い言葉が多いなあと思いました。枝垂れ桜がきもちよく揺れているということを1/fというめずらしい言葉をつかって言ってみましたというかんじがして、それじゃいけないのか?と言われるといけなくはないと思うのですが。。なにか物足りないなあと思ってしまうのは好みの問題かもしれません。すみません。


N さいたなら枯れてゆくだけ心咲さんさかなくていいこころなんかを
この歌は、「心咲さん」で「みさきさん」という人名と読むということにぜんぜん気付かなくって、まったく読み解けませんでした。それがわかってからも、「さかなくていいこころなんかを」の意味の取り方が難しいですね。まず心が咲くってどういうことを指しているのかが。。もし難読ネームへの批判だとすると、うーん。個人的には、うーん。どうなんだろう。でももしかしたら作者は、名前のプレッシャーのことを言っているのかなあ。多かれ少なかれすべての名前には意味があって、それをプレッシャーと感じる人もいると思うので、名前と関係なく生きていっていいんだよ。っていう意味だったりするのかもしれませんね。

O ほろよいのお花畑で落ち合ってこのまま二人どこか消えたい
「ほろよいのお花畑」というのはお花がたくさん咲いていて酔うように気持ちのよいお花畑という意味でしょうか。そういうお花畑で落ち合ってどこかに二人で行ってしまいたいという恋人同士の歌ですね。きっと。歌の意味はよくわかるのですが、言葉のチョイスがちょっと不思議だなあと思いました。「ほろよい」「お花畑」「落ち合って」「どこか消えたい」、なんだろう?わざとベタにしているというか。。その狙いがよくわからないなあと思いました。

P 口々に春うたうべく咲く花のひとつを選りて耳もとに挿す
「口々に春うたうべく」が「咲く花」にかかっているのか、「咲く花のひとつを選りて」にかかっているのかで悩みました。えっと、つまり、「口々に春うたうべく」の主語が花なのか、人なのかってことですね。どちらでも良い歌だと思うのですが。「口々に春うたうべく咲く花」を耳もとに挿すのが一人であるよりも、口々に春を歌うために複数の人が花をひとつずつ選んで耳もとに挿しているほうが私は好きです。春の女神達が花を選びながら歩いているようなかんじがして。口と耳だからもう一つの読み方のほうで作られたのかもなあとは思いつつ。

Q 花びらを涙でつけて待っている 遠くからでも気がつくように
最初はどういうことかさっぱりわからなかったのですが、よくよく考えてでてきたのが、悲しいけれど道化を演じているという場面かなあと。ピエロの目元には涙が描かれていますよね。あんなかんじで。そこになかなか行き着かなかった理由は「遠くから手を振ったんだ笑ったんだ 涙に色がなくてよかった(柳澤真実)」という歌を知っていたので、そっちにひっぱられちゃったのかなあと。歌会前にこういう読みをしていたら票を入れていたような気がします。すみません!!

R 桜たちおかえりなさい旅ならばかなたの春よいってらっしゃい
咲きはじめた桜におかえりなさいと言っているのですね。桜たちが旅をしているというなら次の春へ向かっているんだろう、いってらっしゃい。という意味でしょうか。その意味だとしたら、もう少し言葉を整理できるような気がしました。

S 薄桃の君がまっすぐ行けるよう道しきつめる花びらになる
歌会前には歌の意味がよくわかりませんでした。「薄桃の君」が何を指すのかとか、「花びらになる」ってどういうことかとか。「薄桃の君」が傷つきやすいもの、赤ちゃんを指すのでは?というような話がでて、ようやくわかりました。君を傷つけないように道に迷わないように自分は花びらとして道にしきつめられてもよい。というような愛の歌なんですね。というわけで意味はつかめたような気がするのですが。作中主体は愛にあふれた自己犠牲ができる人なんですね。

T この岸がどちらがわでもかまわない空ににじんでゆくさくらばな
心象風景と実際の風景を重ね合わせているのかなと思いました。作中主体は心象風景としての水の中にいて溺れていたんじゃないかと。溺れてやっとたどりついた岸は、それはどちらがわでもかまわないですよね。そんな心の中から見上げたさくらは涙ににじんで見えたのかなあと。

Aの評から順に息切れしていくさまが文章量でよくわかりますね。。すみません。。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------

★作者名はこちらからご覧いただけます。

0 件のコメント:

コメントを投稿